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或るソフィストの雑感

地方私立高校教師の下らない雑感。

しなやかな経営

高校卒業のときに書いた「未来へのはがき」

10年後の今年、家に届いた。

それも、届いて数ヶ月、郵便箱にたまりこんだチラシ類の中に

紛れ込んでいた。

 

 

いつまでも、誠実に、そして、しなやかに生きていきたい

 

 

しかし、10年経っても、筆跡に変化がない。私特有の、筆圧の濃い、荒れた字・・・

「しなやか」かどうかはよく分からない。

「誠実」であるつもりはないが、今になって、そう評価されることが多い。

感慨に浸るつもりは毛頭ないけれど、

しがない高校教師の一人として、綺麗事ではなく、

そういう思いを持って生きてもらいたい。確かに。

 

地方私学に勤めてかれこれ5年。

学校という場所の、そしてこの学園の抱える「複雑怪奇」さに

慣れつつもある。「複雑怪奇」を感じなくなってもいるのだろう。

いまだに複雑怪奇さを覚えるのは採用人事である。

閉鎖的な学校法人だから、人事にある程度の不透明さがあるのは、

あるいは当然のことなのかもしれないけれど、

たぶん、上層部の求心力のなさが、体感的な不透明さを増長している感

が強い。

「誠実に、しなやかに」

きっとこれが欠けているのでしょうね。

 

「しなやかな県政」という言葉を掲げたのは、某政治屋だったけれど、

結局「しなやか」の中身はよくわからなかったように記憶しているけれど、

この学園には「しなやかさ」が欠けているというのか。

 

あるいは本居宣長の言う「もののあわれ」が欠落していると言えるのかも

しれない。一つ一つのことに、もう少し美的繊細さをもったほうがいい。

私にも言えることであるけれど。

 

もののあわれは、倫理の端緒である、と結論付けた倫理学研究者がいる。

私は、日本倫理思想は専門ではないが、直感的には同意する。

 

もう、この学園は、変わらないだろうな、と思う。体質的に。

本年度で「雇い止め」の人が何人かいる。

残念ではあるけれど。

しなやかさを欠いた運営には、慎重とか軽率とかとはまたディメンションが異なる

問題が存すると、私は思う。

だから、”採用には「慎重に」”という件の言葉は、当たらない。